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『あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。』使徒の働き7章51節

『あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。』

使徒の働き7章51節

説教要旨[福本行宏牧師]


破れ口に立つ神の人、それが神の人モーセである。彼は柔和で謙遜、祈りの人であっ

た。

出エジプト記32章には、彼の命を賭けた熱い祈りによって、イスラエルが九死に一

生を得た出来事が詳細に記述されている。モーセが40日間、シナイ山で祈って神か

ら十戒を授けられていた時、

山麓では金の子牛を拝みながら、淫らな行いに耽っていた民に神の鉄槌が下されよう

としていた。

その時モーセは神と罪人の狭間に立って必死になって執り成しをした。詩篇106/

23


一、主は赦しの神である。

主なる神が一旦決めたことを妥協したり、後悔してこれを翻すことはまずない。しか

し、それを承知の上でモーセは神と人との狭間に立って、執り成しの祈りを神にささ

げた。『すると、主はその民に下すと仰せられた災いを思い直された』と述べられて

いる。

そこには民の悔い改めがあったはず。

出エジプト32/14

これは神の大きな奇蹟であり、神の底知れない赦しの御業であった。神は今も心の底

から悔い改める者を赦して下さる。『もし、わたしが災いを予告した民が悔い改める

なら、わたしは、下そうと思っていた災いを思い直そう』エレミヤ18/8

モーセの祈りは口先だけの祈りではなく、命を賭けた祈りであった。『今、もし、彼

らの罪を赦して下さるなら、。しかし、もしも、かないませんならば、どうか、あな

たがお書きになったあの書物から、私の名を消し去って下さい。』出エジプト32/

32


二、主は栄光の神である。

モーセは、主は栄光の神であると訴えている。

もし、イスラエルの民が滅ぼされるならエジプト人は大いに喜び、〝結局イスラエル

の神は、自分の民を山地で滅ぼすために、悪い企てをしたのだ〟と言って嘲るだろ

う。それでは神の名が汚されてしまう。

そのようなエジプト人の態度はモーセにとっては耐えられなかった。私たちはどう

か。

主なる神の聖なる御名が崇められていない、辱められている日本の現状に対して、果

たして心に痛みを覚え、涙を流して祈っているか。


Ⅲ、主は契約の神である。出エジプト32/13

モーセは主が契約の神であることを執拗に訴えた。

神は古から契約の神。神はアブラハムを選び、彼を通して世界のすべての民を祝福す

るという契約を結ばれた。イスラエルの民がゴシェンの地で一大民族になることも、

出エジプトして約束の地に入ることも皆、この契約に基づいている。

更に私たちの救いも、決して変わることのない神との契約に成り立っている。キリス

トが過越しの祭りの夜、弟子たちと共に食事をした際、その事を語られた。『みな、

この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。これは罪を赦すために多く

の人のために流されるものです。』マタイ26/27、28

イエス・キリストの十字架は、神が私たちの罪のために払われた死の代価であった。

モーセはイスラエルの民の行為のゆえでなく、神の契約のゆえに赦しを求めた。私た

ちにとって、キリストの血による十字架の契約は今も尚、有効である。

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2017年6月18日(第三主日)主日礼拝説教『イスラエル歴史の回顧Ⅱモーセに学ぶ』

2017年6月18日(第三主日)主日礼拝説教

テーマ:『イスラエル歴史の回顧Ⅱモーセに学ぶ』

テキスト:使徒の働き7/17~38

ステパノによるイスラエル歴史の回顧録の第二回目です。

アブラハムは主の言われたことを見ずして信じ、目指す所へ出掛けて行きました。

神はアブラハムを祝福の基とされ、祝福が多くの人々に広がって行くようにされました。

『モーセ』“水の中から引き出した”出エジプト記2章10節

エジプトを象徴するナイル川から引き出されたモーセ。

私たちはこの世の濁流、罪と汚れ、嘘と醜い争いの濁流から引き出されました。

モーセの生涯は三つに区分されます。

Ⅰ、エジプトに於ける40年。

この期間はモーセにとって、将来の重大な任務を遂行するための準備と訓練の時でした。

モーセは当時最強の国エジプトに於いて、最高の学問、最強の武道技術を身に付けて、

将来、エジプトの頂点に立ってこれを支配する指導者としての能力を蓄える時でした。

                            使徒の働き7/22

ところが神のご計画はエジプトの王者としてではなく、神に仕える神の僕として、

同胞イスラエルをエジプトから解放・救済するための訓練であったのです。

モーセはエジプトの栄誉・冨・国のすべてを自分の思うとおりに出来ることを放棄して、神の御心に従ったのです。神が人に一番期待されるのは謙遜と従順です。

神がアブラハムやモーセをご自分の器として選ばれた最も大きな理由は、

彼らの神に対する謙遜と従順な信仰によります。

神が聖書を通して教えて下さることに私たちが従順・素直に従うことが主の祝福です。

Ⅱ、荒野に於ける40年。

この期間はモーセが自分の無力さを痛いほど、思い知らされる時です。

恐らくエジプトでのモーセは自信満々だった、と思います。

彼は同胞を救うためにベストを尽くした、と誇らしげでしたが、彼は誰にも受け入れられなかったのです。エジプトで培って得た自分の能力、知恵、技量などは、神の知恵・助け無くしては何の役にも立ちませんでした。

何でも思うとおりにやって来たモーセにとっては、大きな屈辱と失望でした。

ミデヤンの野に逃れたモーセはそこで40年間、羊飼いをしながら、エキソダスに備える神のご計画を知ったのでした。

Ⅲ、出エジプトの40年。

この期間はモーセが神こそは全てだ、ということを学んだ時です。

安易な世俗の渦の中で欲望の虜になってしまう生活から、神のご計画であるイスラエル民族の救出、すなわち、モーセにとって本来の使命に彼を目覚めさせたものは何でしたか。

それは彼の古いもの、すべてを洗いざらい捨ててしまうことでした。出エジプト三章

彼は消えて無くならない燃える柴の前に恐れおののきながら跪きました。

そこは神の聖なる場所でありましたが、モーセは圧倒されて平伏して、

役に立たないこれまでの古きものすべてを脱ぎ捨てて、新しい武器を身に付けました。

それは神の杖でした。あなたは既に私の聖なる器、神のご用遂行のためには神の杖、

すなわち、神の御霊と神のみ言葉を信頼して、エキソダスを敢行しなさい。

モーセは決断しました。信仰の原点に立ち帰ったモーセの決断はやがて民をエジプトから救出し、国を再興致しました。

私たちも失望、失敗した時、試練の辛い悲しい時、打ちのめされた時、神の御霊とみ言葉によって、幾度も慰められ、癒やされ、力付けられて来たことでしょうか。

儚い歓楽や空しく過ぎ行く詰まらない世俗的なものに時・財・エネルギーを費やすのではなく、また、役に立たないボロボロの古い靴を脱ぎ捨てて、

いつも共に居て下さる主を信じる信仰の原点、主の十字架に帰り、新しくされて生きることです。あなたもまた、アブラハムのように祝福の基となって下さい。

モーセは神の杖を持って、紅海を真っ二つに割って民に乾いた地を渡らせましたが、

あなたは幾つものハードルがあるあなたの人生を切り開いて、入るべき所に辿り着いて欲しい、と願います。

『信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな冨と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。』ヘブル11:24、25、26

見るべきお方から目を離さないで歩み続けて下さい。

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